今日はこんなことを思っています。寓話です。
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[羊の平和]。
囲いの中の羊たちが外の世界に向かって言う。「僕たちは外へ出て行って悪さをしないから、この中にも、誰も入ってこないでおくれよね」
囲いの外は狼だらけ。狼同士で縄張り争いをし、均衡を保っている。それが、狼の平和。が、誰もが囲いの中の羊を狙っている。
羊は思う。「僕たちが外に出なければ、きっと中にも入ってこないよね」
不安になって、さらにこう思う。「飼い主さんがいるもの。誰かが入ってこようとしても、飼い主さんが守ってくれるから大丈夫だよ、きっと」
羊たちは知らない。
飼い主が扉を閉め忘れるかもしれないこと。あるいは、飼い主が羊を群れごと売ってしまうかもしれないこと。
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日本は、この羊たちの状態と同じだと思いませんか?
私はこれを、[弱者の平和]と呼びます。[愚者の平和]とまでは言いませんけどね(^_^;)。世界全体がおとなしい羊ばかりなら、こんな平和も通用するかもしれませんが。
しかし、現状は違うのです。今の世界は、狼が支配する世界です。
[狼の平和]は、[強者の平和]。力と力のぶつかり合いで均衡を保っています。
しかし、もう1つその上に私は、[賢者の平和]というものがあると思っています。言ってみれば、空を飛ぶ[鷲の平和]ですね。
鷲は、下の世界の争いを超越している。
巻き込まれず、悠々自適、あらゆるものから自由で、必要なものは誰にも邪魔されずに必要なときに手に入れる。
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私はアシュターと共に、過去に宇宙で数知れない戦いを経験してきました。
しかし、アシュタルコマンドは相手を傷つけるような戦い方はしません。武器を持って対峙することはありません。
その必要がないからです。
アシュタルコマンドのテクノロジーが圧倒的に優位だからです。完璧な防御ができるからです。
相手を傷つけるための武器はまったく必要ない。
傷つけずとも、相手の武器を先に無力化することができます。
私たちは以下のような体験をしています。
あるとき、宇宙中を荒らし回っている連中が私たちを襲ってきました。しかし、私たちは簡単に勝利しました。
何をしたのでしょうか?
私たちは、ただ単に自分たちを鏡のテクノロジーでシールドし、相手の攻撃を反転させ、相手に返しただけなのです。
それによって、相手は全滅しました。自らのエネルギーで滅びたのです。
それが、賢者の戦い方であり、それによって守っている賢者の平和です。
日本は、どの平和を目指すべきでしょうか? 最下位の羊の平和にいつまでもいつまでも甘んじるつもりでしょうか?
相手を傷つけるレベルを超えて、相手から指一本触れさせない戦い方、相手の武器を無効化して戦わずして勝つ戦い方があります。
物理的能力においても、精神力においても、倫理観においても、相手に有無を言わせないだけの力量を備えた戦い方があります。
それが賢者の戦い方であり、それによって達成する賢者の平和です。
日本は、それを目指すべきではないでしょうか?
一人の人間にとって、自分の身を自分で守ることは、自立という意味で基本中の基本です。それは、国家単位にも当てはまるのですよ。
すべての戦いが悪いわけではありません。勘違いしないで下さいね。3次元の2元性世界においては、必要なときに戦うことなくして身を守ることはできません。必要な戦いをするというのも重要な学びなのです。
すべての戦いが悪だというのは、お花畑の幻想です。サヨクの刷り込みです。サヨク自身、戦いに明け暮れているのですから、それは奴らの欺瞞です。
相手を害する戦いは悪であっても、自分自身や自分にとって大切なものを守り抜く戦いは、必要があって許容されるのです。
日本人は長らく勘違いさせられてきました。日本人から力を奪うことを目的とした洗脳によって。
繰り返しますが、日本は国家としての基本的人権を奪われたまま、羊という弱者の平和に惑わされてきたのではないでしょうか?
自立せよ!
独立せよ!
一個の国家として、
自分の両足で立て!
いかに、相手を傷つけずに自分を守りぬくか。
それが学びです。
それが、アセンションに向けて第3密度を終えていく過程で、必ず完了しなければならない1つの課題です。
人間を国家に置き換えて、自らの力で自らを守ることは自分の身体に果たすべき責任です。
今の日本の現状は[羊の平和]に過ぎず、自己に課せられている責任を放棄しているのと同じ状態です。
改憲は、当たり前に必要なことです。理由はシンプルです。自分たちで作った憲法ではないからです。見直す機会を持つことは、当たり前に必要なことです。
巷の多くの日本人が、日本の国力を弱める意図を持った外国サヨクの策略に乗せられて、改憲に反対していますが。
はっきり言って愚かなことです。
狼から与えられた[羊の憲法」が、どれほど日本人の飛翔を邪魔する足かせになっているか、気づいていただけたら幸いです。
9条に盲目的に執着する改憲反対が、どれほど日本人を低次の2元性にとどめているか、日本人のアセンション/次元上昇を妨げているか、気づいていただけたら幸いです。