昨日、私の祝祭セッションを受けた方が終わって帰る時に、何度も「間に合った」と言って涙を流されていた。
いくつもの意味が重なっていた、と想像している。
下のツイートに書いたけれど、1) この人生が終わる前に、”赦し”と、”癒し”と、”和解”が間に合ったこと。
そしてまた、2) 長らくスピリチュアルな道を歩んできた者として、”アセンションへの備え”が間に合ったこと。
この方は、おそらくイニシエートを目指して長い間努力を重ねてきた魂で、今回のセッションで見た前世でも非常にスピリチュアルな生き方をしていた。
今世では普通の女性として生きていたが、それでも瞑想に惹かれ、神智学や人智学に惹かれ、日常の中で”上とつながる”努力をしていた。
最後にNBSに導かれて、創造主やミカエルやアシュターたち祝祭チーム、聖白色同胞団(今では、”宇宙の光のカウンシル”と名を変えたと、ロナさんが言っていた)から直接教わることができたこと、知りたいと望んでいた真実を手にできたこと、そして、これまでの自分の歩みが間違っていなかったとわかったことの喜びや安堵感が、「(今世で)間に合って良かった(涙)」という表現になったのだと思う。
「瞬間、瞬間を大切にして」と言うとき、「今しか無い。本当は時間は存在しないのだから、過去も未来も無い」という言い方をよくするが、真の意味は、「”時間の流れ”は3次元の中にしか存在しない」というだけで、”流れない”時間が、私たちの記憶の総体として存在する。いや、時間そのものが、私たちの中にある。
だから、たくさんの楽しい記憶を自分の中に集めていくことが、自分を幸せにする。
赦しと癒しと和解で、”愛”で、自分の魂を埋めていきたい。
(この記事は、以下のツイートのスレッドから続いています。)
https://twitter.com/MALight0010110/status/1598286094067695618