セルフマスタリー

正直であれ

今朝の空。天空の部屋へ来てから見る、初めてのまともな雨ではないだろうか。

緑が、いやこの地の地上全体がほっと息をついているのがわかる。この夏は暑かったものね。

さて、今日のタイトルは「正直であれ」にした。

最近の私の変容にお気づきだろうか?

「愛のカルマ」にしろ、「インナーチャイルド」にしろ、私はものすごく正直に書いている。

ここ天空の部屋は、天国と地上を分けるところ。

意識を上へ上げればそこは天国で、意識を下へ下げればそこは(幻想ではあるけれど)”死”の存在する地上になる。

その境目にいて「生と死」にまっすぐに向き合っているとき、人は正直になるしかない。「他人に」というよりも、「自分自身に」。

何故なら、正直な自分でなければ、かりそめの死を超えて、つまり”死”という幻想を超えて、永遠の生の天国へ入ることはできないからだ。そのことに気づかされる。「生と死」の境目を目の前にした人にしか、わからないかもしれないけれど。

正直な自分とは、普段地上で暮らしながら、自分で自分をそう認識しているような自分ではない。

地上にいるときには、周囲から押し寄せてくる巨大な幻想に巻き込まれて自分に正直になれない、いや、本当の自分を見失っていることが殆どだ。地上は2元性を学ぶ場所だから、それを学んで理解したら手放す必要があるのだが、あまりにもリアルな幻想に囲まれて暮らしているので、私たちは2元性も幻想だということを思い出せない。

だから、山ほどの2元性の幻想に囲まれて、私たちは自分をも他人をも批判し、裁き、分断し、遠ざけ、自ら孤独に陥っていくことをやめられない。

しかし、そのような人も生と死の境目に来ると、自分に正直になり、本当の自分を思い出さなければならない。

何故なら、本当の自分のみが、幻想の死の世界を抜けて永遠の真実の生の世界へと入っていくことができるから。

すべてのカルマを解決し、インナーチャイルドも統合した後でなければ、つまり自分の中から、これまでの地球のすべての過去世において”幻想”によって作り出したダーククリスタルを浄化した後でなければ、私たちは地球での輪廻転生を終えて、ライトボディとして永遠に存在する高い波動の世界に戻っていくことはできない。

地上でどんなに物質的に恵まれていようと、栄誉栄華にあろうと、従来の信仰やニューエイジのお花畑スピを信じてハッピーでいようと、それらはすべて外的なもの、つまり”地上の幻想”であり、「生と死」の境目を超えるときには持っていけない、むしろ超えるためには役に立たないものだ。

私たちは、「正直な自分」という裸一貫にならなければ、高次元へ戻れない。「正直な自分が見い出した無条件の愛」以外のものは、私たちを地上へ引き留める足かせに過ぎない。

無条件の愛とは「ワンネスの認識」であり、「正も負もすべてが一体で全体が創造主の愛である」と、心身ともに体感して初めて生まれる。

そして、慢性病に限らず、すべての心身の病も、(偶然に見える)怪我であっても、あなたのライフフォースの乱れから起こる。

ライフフォースの乱れは、たとえどんなに小さなものであっても、その先をずっと進めば、肉体の”死”へと繋がる。

そのように考えれば、ライフフォースの乱れは「自分に正直になれ」という警告だ。

私たちは生まれ落ちて以来、誰もが「生と死」の境目に向かって、つまり”死の門”に向かって歩いている。例外はない。

本当に”死の門”をくぐるのであれば、それは肉体の死を意味するし、”死の幻想を超える”という意味であれば、それはイニシエーションである。

だが、誰もが「本当の自分」にならなければ超えられない地点に向かって歩いていることは確かだ。

救世主はあなたの外の世界にはやってこないし、赤の他人でもない。

「無条件の愛の中にいる本当の自分」だけが、あなたの救世主になり得る。

 

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