アシュター/アテナ

先代の龍宮乙姫様は震災をどのように見ておられたか

下記の文章は、ニューアース・ビルダー・スクール内の参考資料の一部として私が書いて載せていた内容ですが、令和6年能登半島地震直後の今、かつて龍宮乙姫として日本と世界のために働いておられた故・藤田妃見子さんの阪神大震災後のメッセージにあらためて触れてみたいと思いました。

ちょうど当時の会報をK.さんが送って下さいましたので、それもこのタイミングで必要なことなのだと感じ、広くご紹介することにしました。Kさん、ありがとうございます。ぜひ、会報の内容を読んでみて下さい。

その前に最初に背景として、私が以前書いて、スクール内に載せていた文章を載せておきますね。

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私のオーバーソウルであるシリウス意識体・瀬織津姫系女神グループの中のアスペクトの1人に、故・藤田妃見子さんという方がいらっしゃいます。これまで私の歩みをフォローしてきて下さった方は、「熊本の龍宮乙姫さま」としてご存じですね。

私の話を先にしますと。

はじめに必読で説明していますが、アシュタール通信No.9-3で、私の1つのルーツ/アスペクトが明らかにされました。それは、遙か古代において宇宙から原始の海に降ろされた、のちに「龍宮乙姫/竜宮音姫」と呼ばれる存在でした。彼女/私は海の底の洞窟に入り、長い間、様々な生き物たちを創造して暮らしていました。それが私のミッションだったからです。(その私に会いに、上の次元に残っていたアシュターが無理をして次元を下降し瀕死の状態で降りてきたことも、そのときのセッションで伝えられています。)

その情報がもたらされた後、程なくして、私は「龍宮乙姫の謎」という本に導かれました。”女神の海”というスピリチュアルグループの活動を紹介した本です。

すると、その本の中心人物である藤田妃見子さんという女性の教えが、私がじっちゃんたちから伝えられてきた教えと余りにも似ている! そっくりではありませんか!

それもそのはず、まもなくアシュターとのセッションにおいて、その方は私とオーバーソウルグループを同じくする人であることが判明したのです。しかも、私たちは古代のどこかでシャーマンの母娘として過ごし、血はつながってはいないものの、祭祀長の地位を彼女から私が引き継いでいたのでした。その方は既に2006年に亡くなっておられましたが、今世でもまさに私の前任者のような存在だったわけです。その後、私の夢に出てこられたり、セッション中、お姿は見えないもののサポートのエネルギーを送って下さったりしています。今では、私は”おかあさま”と呼んでいます。

2018年には、私は「龍宮乙姫」や同じグループの宗像3女神(市杵島姫神)ゆかりの場所を訪ねる旅、”乙姫ロード”をつなぐ旅に何度も出かけました。私の後には龍たちがついてくるらしく、彼らの封印を解く作業も含め、かつてのエネルギーラインをつなぎ再活性化させていく旅でもありました。藤田さんが「龍宮乙姫」となる啓示を受けた熊本の地、その場所も参拝しています。

ここからが本題になります。

藤田さんはヒーラー/スピリチュアル指導者としての生涯を歩まれ、”女神の海”というグループを主宰しておられました。教団ではなく素朴な会員制のグループです。「乙姫さま」と周囲からは呼ばれていたそうです。

最近、私は国常立神様との交流が増えてきて、エネルギーつながりの「龍宮乙姫」に触れる機会も多くなったのですが、その記事を目に留められたのが、今回ご紹介するKさんです。この方は、何とその”女神の海”の会員でいらっしゃったんですね。

私は「そのうちいつか、かつて”女神の海”の会員だった方が私の存在を知るのではないか」と予想していましたが、まさにその日が来たわけです。

私が最近発行したクニトコさんが登場されるコンシャスチョイスNo.129を目にし、申し込まれたのをきっかけに、Kさんと私の交流が始まりました。

今回、Kさんからいただいたメールをご紹介いたしますね。おかあさまの”女神の海”がどのような会だったのかをお話して下さっていますし、他にも興味深い情報があります。

そして、当時の”女神の海”の会報も送って下さったので、皆さんにも読んでいただけるようにしました。

時代が違いますし、信仰の対象とした存在も違うのですが、その存在の名前を”天照大御神”から”じっちゃん/創造主/天之御中主神”に呼び変えれば、今の私たちとまったく同じ教えに従い、同じ思いを共有しているのがわかります。

おかあさまの教えも、今のこのスクールでの教えに十分通じるものがあります。

私は、マイケルの教えを実践する学校としてこのスクールを始めたのですが、もはやマイケルのみならず、国常立神様、女神の海、そして、今後はARIONの教えまで加わっていくことになりそうで(後述します)、このスクールが「二元性を超え、あらゆる分離分断を終えてワンネスへと統合していくプラットフォームになるべきである」という使命がはっきりしてきました。

Kさんのメールの最後に、”女神の海”の会報、おかあさまのお話のリンクを載せておきますので、ぜひお読み下さいね。

このスクールサイトには、今後も、様々な方面から与えられる情報が融合されるべく蓄積していくものと思います。ここはそのような場所になります。

私たちはすべてを統合していきます。さらに高みを目指し、前進していきます。

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(画像をクリックすると大きくなります。)

龍宮乙姫 1993年8月号

   

龍宮乙姫 1995年2月号

龍宮乙姫 1995年7月号

   

龍宮乙姫 1997年4月号

龍宮乙姫 1997年5月号

龍宮乙姫 1998年2月号

龍宮乙姫 1998年7月号

龍宮乙姫 1999年7月号

~~~~~K.さんからいただいたメール~~~~~

2024-1-5

まどか・シェラン・ルシェリ様

明けましておめでとうございます。

と言えないような災害や事故が新年早々起きてしまい、激動の一年の幕が開いたという感を強くしました。

私が先代の乙姫様の「女神ノ海」に入会した1995年も、1月17日に阪神大震災が起こり、3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きて世の中が騒然としていましたが、その頃と似た社会の空気を感じます。

私は元旦に熱田神宮から多賀大社(滋賀県)へ回り、名古屋へ戻ってからその日のうちに伊勢へ入り、翌2日に伊勢神宮を参拝する予定でしたが、多賀大社を参拝してJR彦根駅に戻ったところで地震に遭遇しました。

新幹線も在来線も全部止まってしまい、伊勢に入るどころか自宅に帰ることも出来ないかもしれないと覚悟しましたが、一時間ほどで運転が再開されたため当初の予定通りに伊勢神宮と神島と伊雑宮を参拝することが出来ました。

「大和」の浮上ミッションを実施される1月11日は神島の八代神社の例祭の日でもありますので、2日に撮影した八代神社の写真を追加しました。地震が起きた能登半島にある「須須神社」を先代の乙姫様が参拝されたときの記事もありましたので、こちらも追加しました。

これから日本がどのように復活していくのか、自分に出来ることをやりながら見届けたいと思っております。

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2020-4-23

なるでこ様

先日、「友愛グループ 女神の海」の元会員だったことをお伝えした○○です。

コンシャスチョイスと一緒に、アシュタール通信No.9-3を送っていただきましてありがとうございました。

大変興味深く聞かせていただきました。

龍宮乙姫が最初に出現されて留まっていたのが洞窟というくだりを聞いて、沖縄のことかなと思いました。乙姫様(藤田妃見子さんは周りの人たちからこう呼ばれていました)が、生前よく「龍宮(りゅうぐう りゅうきゅう)=琉球」ということを話されていたからです。そうしたら、2018年12月31日の記事の終わりの方に、「私が、かつて海のアマテラスで、龍宮から日本列島に上がった際の場所、そこが沖縄であり、その後九州へと渡った。その辺りには今も、龍宮とつながるポータルが数々残っているそうです。」と書かれてあるのを読んで、やはりそうかと納得しました。

それから、仮死状態で流れ着いた男性のくだりでは、龍宮乙姫=トヨタマヒメだから男性はヒコホホデミノミコトかなと思いました。古事記等に出てくる海幸彦山幸彦の話のモデルなのかなと考えたのです。

そうしたら、この男性が「火星から来た」とか「炎のエネルギーをまとっている」という話が出てきてひっくり返りそうになりました。確かにヒコホホデミノミコトは漢字で書くと「彦火火出見尊」で、まさに火が二つも入っていて、名前そのものが「炎」ですね。しかしまさか火星から来た宇宙人だとは・・・。

私が「女神の海」の会員になったのは1995年で、なるでこさんも読まれたという「龍宮乙姫の謎」が名古屋の書店に平積みになっているのを見たのがそもそもの始まりでした。

本が並んだのはその年の1月でしたが、当時はちょっとした新興宗教ブームで、地下鉄サリン事件を起こす前のオウム真理教とか足の裏を見て運勢を占う「法の華三法行」とか、有象無象の宗教団体が林立していました。そうした団体に関する本がいっぱい出版されていたので、また似たような本が出たぐらいにしか思わず、買おうとも思いませんでした。

そのうちに本は段々売れていって、3月になるとあと数冊しか残っていませんでしたが、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こり、日本中が大騒ぎになっている中で、なぜかその「龍宮乙姫の謎」を買ってしまいました。テレビが連日オウムのニュースを流しているのを見て、逆に興味が湧いたのかもしれません。しかし買った後も読まないまま放置していて、読んだのは買ってから3ヶ月ぐらい経った6月頃でした。

私は以前から豊玉姫を祖神として祀る海人(あま)族に興味があり、関係のある神社にお参りしたりしていたのですが、「女神の海」がその豊玉姫を信仰の対象としていることを本で知り、特に危ない団体でもないらしいと思ったので、入会しようと思い、活動内容が分かる資料か何かを送って欲しいと連絡しました。そこで送られてきたのが、会が毎月発行していた「龍宮乙姫」という会報の最新号で、7月上旬に届きました。私は仕事から帰ってきてからそれを一通り読んだのですが、読み終わって30分ぐらい経ってからあることに気がつきました。

なぜかとても気分が良く、まるで南の島のリゾートで涼んでいるような感じがしたのです。

私が住んでいる愛知県は、7月上旬の梅雨明け前の時期は気温と湿度がとても高くて、一年で一番不快な時期です。それなのにまるでハワイやグアムなどの南の島のリゾートに居るような気持ちよさを感じていることに気付いたのです(といっても私はハワイもグアムも行ったことはありませんので想像でしかありませんが、南の島の砂浜で椰子の木を見ながら涼んでいるイメージが浮かんだのを覚えています)。

今思い出してもとても不思議な体験でした。

会報を読んだだけでそんな気分になったことに驚いて、直ぐに入会することにしました。

乙姫様は当時、JR新大阪駅の一駅隣の東淀川駅前のマンションに住んでおられて、そのマンションの集会室で月一回第三日曜日に「龍宮の集い」というのを開催しておられました。午後1時から4時頃まで、乙姫様や、乙姫様の身の回りのお世話や会報の編集などの実務をしておられた川見さんという男性、古くからの会員さんなどが代わる代わる話をされて、最後に乙姫様が出席者全員を浄める行をされて終了という流れでした。私は1995年10月に初めて「龍宮の集い」に参加し、乙姫様が病気になられて会を開けなくなった2004年頃まで出席していました。初めて出席した日は、愛知県の三河地方のある神社を参拝しようとして準備をしていたのですが、そこに突然「龍宮の集いに行け」というメッセージが頭の中に飛び込んできました。声が聞こえたとかではなく、急に閃いたというような感じだったと記憶しています。初めて会報を読んだときに続く、2回目の不思議な体験でした。

「龍宮の集い」や会報で色々な話を聞いたり読んだりして驚かされることばかりでしたが、先日久しぶりに会報を読み直していたところ、乙姫様のお話や活動内容がまとまっている記事がありましたので、下記にアップロードしておきました。天之御中主大神さんやアシュタールさんから色々な情報が来ているとのことですから、なるでこさんの現在の活動にお役に立つかどうかは分かりませんが、何かの参考になればと思いアップしておきました。

熊本の天岩戸遺跡にある龍宮乙姫像に行かれた記事も読ませていただきました。私もあそこへは4,5回行きましたが、車を停めるところが無くて、少し離れた路肩が広くなっているところにいつも停めていた覚えがあります。最後に行ったのは10年以上前ですが、写真を見ると私が行ったときとあまり変わっていないと思いました。

それから乙姫様が琵琶湖の西岸の滋賀県高島市にもう一体、女神像を建てておられることはご存じでしょうか?

琵琶湖には宗像三女神の中の市杵島姫神を祀る都久夫須麻神社があったりして古くから女神信仰があり、また日本の国生みにも深く関わるところということで建てられたということだったと記憶しています。

私は此処にも2、3回行ったことがありますが、10年以上前に最後に行ったときは周囲に目印になるようなものが無く、車を停められる所も無かった覚えがあります。しかしGoogle mapで調べたところ、いつの間にか近くにホテルが出来たりして、以前より賑やかになっているようです。

既にこの女神像のことをご存じであればこれも余計なお世話ですが、Google mapで拾った女神像の写真と付近の地図、それに会報に掲載された女神像の写真をアップロードしたフォルダに合わせて入れておきました。地図の中央辺りに「かばたリゾート(株)」と赤字で書かれた施設があり、その少し右下に何も説明の無い薄黒のマークがありますが、この辺りが所在地です。面している道路は県道「333」号線です。

最後になりますが、アシュタール通信No.9-3の中でもう一つ気になったことがありましたので、お話しさせていただきます。

1時間53分ぐらい過ぎたあたりで出てきた、「岐阜県か長野県の辺りで、神様に近い人達が生まれた」という話に関わることです。

今から30年ほど前に世に出た話ですが、天皇家の出自が奥飛騨地方だという説があります。

日本神話では天皇家の先祖は高天原というところにおられて、そこからニニギノミコトという神様が地上に降りてこられて、その場所が南九州の宮崎か鹿児島の辺りということになっていますが、高天原がどこかということについては色々な説があり、朝鮮半島だとかそれより北の大陸の方だとか、はたまた東南アジアの方だとか、はては中東の方とかユダヤの行方不明の部族だとか何でもありのような状態です。

日本国内でも天岩戸伝説とか高天原伝説というのが至る所にあります。

飛騨高天原説を世に出したのは山本健造さんという方で、学校の教師をされていた方ですが、戦前に奥飛騨の分教場に赴任された際に地元の長老のような方からこの話を聞かされたそうです。山本健造さん自身がある種の超能力を持った人で、それを使って急病人を治療したりしていたことから、特別に秘かにこの話を聞かされたそうです。

その後、自分で日本各地に出向いて長老から聞かされた話を確かめていった結果、飛騨高天原説は事実だという結論に至り、世に出したようです。

山本氏が書かれた本によれば、飛騨(ひだ)という地名の由来は、日抱きの御魂鎮め(ひだきのみたましずめ)という瞑想行だそうで、そのやり方は、池の水面に映った太陽を見つめてから目を閉じて、その残像を見つめて心を鎮めるというものだそうです。奥飛騨地方では明治時代の初め頃まで行われていたそうです。

そうした瞑想行を続けることで高い霊性を保っていた人達の中から特に優れた一族が現われ、その一族が現在の天皇家の先祖なのだそうです。

高山市(飛騨高山)内の南の方に位山という山がありますが、その頂上付近に巨大な石が集中している場所があり、今は位山巨石遊歩道と呼ばれています。そこが天皇家の先祖の方たちのお墓なのだそうです。

また、この頃の奥飛騨地方ではアワの神という神様が広く信仰されていたそうですが、このアワの神は国常立命だそうです。

やがてこの一族の中で優れた遠隔透視能力を持った女性が現われ、九州で大陸からやって来た人達や南方からやって来た人達の間で争いが起きていることを透視し、その争いを放っておくと、そこから勝ち抜いた勢力がやがて九州から本州にまで攻めこんで争いが全国に広まってしまうおそれがあるので、それを防ぐために自分の孫を九州に派遣して争いをやめさせようとしたというのが天孫降臨神話の真相なのだそうです。

この女性が伊勢神宮の内宮に祀られている天照大御神であり、派遣された孫がニニギノミコトだということです。

ニニギノミコトのひ孫にあたるイワレヒコという方が瀬戸内海を東上して奈良の橿原に至り、そこで即位して初代天皇である神武天皇となられたのは、九州の争いを治めるという任務が完了したので、天照大御神の正当な後継者になったということだそうです。

飛騨へ戻らなかったのは、ニニギノミコトが飛騨を出発した頃すでに気候の寒冷化が進んでおり、冬の間は雪に閉ざされてしまって日本各地との連絡がとれなくなってしまうので、ニニギノミコトの兄にあたるニギハヤヒという方が飛騨から下られて奈良に入り、それまで飛騨が果たしていた政治的な機能を奈良に移してニニギノミコトの帰還を待つと

いう段取りになっていたものの、ニニギノミコトの存命中には九州の争いが治まらず、イワレヒコの時代になってやっと治まったので、九州を離れて奈良に入ったということです。

飛騨高天原説はあまり知られていないマイナーな説なのですが、一方で天皇家と飛騨地方の深い関係をうかがわせる材料もあります。

一つは、昨年の新天皇即位の儀式の際に天皇陛下が手に持っておられた笏という細長い木の板に関わる話です。新天皇即位の儀式で用いられる笏は必ず、先に挙げた位山という高山市の南方にある山のイチイの木で作るということが、少なくとも900年近く前から慣例になっているそうです。

もう一つは、終戦直後に名古屋市の熱田神宮に祀られている三種の神器の一つである草薙剣を進駐軍に奪われることを防ぐために、高山市内にある飛騨一宮水無神社に隠したという出来事があります。そしてこの水無神社の御神体が、位山なのです。

私は今は愛知県に住んでおりますが、元々の生まれは高山市で、ちょうど女神の海に入会した頃に高山市へ行った際に、飛騨高天原説について書かれた本を入手し、その内容に驚き、関係のある神社などを色々回りました。

ただのふるさとびいきの話と言ってしまえばそれまでなのですが、国常立命がらみでおもいがけないところで話がつながったと思ったので、長々と書かせていただきました。

もっぱらアシュタール通信No.9-3の内容についての感想ばかりになってしまいましたが、プライベートトークの方についても色々な感想を持ちました。そちらの方についてもまた、なるべく短くまとめてお伝えしたいと考えております。またブログの方も、2017年の記事から読み始めて、今は2019年の3月辺りを読ませていただいています。日月神示や国常立命についても以前から関心を持っていましたので、非常に興味深いです。

延々と書いてしまったのは、今までバラバラに知っていた話が、なるでこさんのお話で一気に繋がった感があり、非常に興奮しているゆえの所業であります。ひらにご容赦下さい。

どうもありがとうございました。

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2020-10-11

こんにちは。

元「友愛グループ 女神の海」会員の○○です。ご無沙汰しております。

9月27日の「大立て替え第2フェイズの準備~135度線浄化ミッション」を拝見しました。135度文明という言葉は初めて知りましたが、色々思いついたことがありメールさせていただきました。

先代の乙姫様(藤田妃見子さん)が、故郷の熊本から関西に出てきて最初に住まわれたのが、神戸にある本住吉神社(兵庫県神戸市東灘区住吉宮町7丁目1-2)の近くだったそうです。今回の記事を呼んでwikipediaで確認したところ、この神社があるのが東経135度15分36.5秒で、まさに東経135度線上でした。

籠神社にも行かれたということですが、この神社は先代の乙姫様が行われていた海外での御神業と深い関わりがありました。籠神社がある丹後半島の海中から採取した石を持参して世界各地へ赴かれ、行かれた場所にこの石を置いて祝詞を奏上するというのが御神業だったそうです。この御神業により、世界各地に埋もれている女神様や閉じ込められた女神様を復活させるというのが目的だったそうです(もうご存じかもしれませんね)。籠神社の宮司家である海部家とも親密だったとも聞きました。

この話を聞いたときは、丹後半島が浦島太郎と乙姫伝説の発祥地の一つであり、丹後半島と同じく若狭湾に面する福井県小浜市に若狭姫神社(御祭神は豊玉姫=龍宮乙姫)と若狭彦神社(御祭神は彦火火出見命)があることから、丹後半島の海の石を使っているのだと思いました。しかし、まどかさんの今回の記事を読んで、先代の乙姫様の御神業には135度文明のための下地作りという目的もあったのではないかと思いました。

さらに、ここまで考えていたら、1995年に起きた阪神淡路大震災が、135度文明に向けた動きのそもそもの始まりなのではないかという考えに至りました。被災者の方たちにとっては到底受け入れられるような話ではありませんが、今のコロナ禍がニューアースへ向けての浄化のプロセスであるように、阪神淡路大震災にも同じことが言えるのではないかと思ったのです。そうしたら、阪神淡路大震災の直後に、先代の乙姫様が会報に載せられた記事のことを思い出しました。コピーをお送りしますので、お読み頂ければと思います。

それから神社を数多く回られたそうですが、もしこれからも回られるのであればお役に立つのではないかと思い、「龍宮祝詞」も送らせていただきます。

この祝詞は、先代の乙姫様が会員に神社参拝の際に奏上することを奨めておられました。

また、祝詞のなかにある「コスモスの 花咲きみてり 乙姫の 七色の虹 世界をつつむ」という歌は、先代の乙姫様の葬儀の際に参列者全員で歌って出棺を見送りました。

神社で「龍宮祝詞」を唱えると、時々びっくりするようなことが起こります。今年の4月に地元にある伊奈波神社(岐阜市)に参拝したのですが、境内に「黒龍神社」という神社が祀られていて、地元では霊験あらたかな龍神様として広く知られています。ここに着いて「龍宮祝詞」を唱え始めたら、まぶたの裏に赤い閃光が走ったのと同時にすごい大音響がして直ぐ近くに落雷しました。何度も参拝したことがあるのですが、こんな「大歓迎」を受けたのは初めてでした。いつもは参拝者が数多くいるのですが、この時はコロナ自粛で参拝者が皆無だったので、余計に歓迎されたのかもしれません。

大立て替えの第2フェイズがどのようなものになるのか分かりませんが、先代の乙姫様が会報で語られていたことを今読み直していますので、お役に立つかもしれないと思った記事を発見したらまたお送りしたいと思います。

 

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